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生きてると「◯◯ってことか!」の連続。

コシツェから世界一美しい廃墟を目指す

バンスカ・ビストリツァからバスで4時間。スロバキアの第二の都市、コシツェのターミナルに到着。

 

コシツェの駅は思っていたよりも大きくて、そしてブラチスラバよりも近代的な建物だった。少し離れて眺めると駅の向こうの山にはペトルジャルカ同様にひしめき合う団地群が見える。

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ところで私がこの地に来た最大の目的は、世界一美しい廃墟とも言われている、スピシュスキー城に行くためだ。スピシュスキー城は中欧で最大級の城塞であり、廃墟化しているものの、世界遺産にも登録されている。自称元廃墟マニアとして、スロバキアに来たらいつか必ず行くと決めていた。コシツェのターミナルから直通バスが出ていて、1時間半ほどで着くとのことだ。翌日の10時40分のバスで向かうことにして、この日は宿に直行した。

 

コシツェの宿はブラチスラバよりも高く、最低でも1泊14ユーロもした。予約していたドミトリー宿に着くと、驚いたことに日本人の男の子に出会った。彼は前日にスピシュスキー城に行って来たとのことで、その話を聞いているうちにますますスピシュスキー城への熱は高まった。

 

翌朝、日本人の男の子に別れを告げて、コシツェのバスターミナルに1時間前に到着した。10時40分ちょうどにバスはきた。バスに乗り込み運転手にSpišský hradと伝え4ユーロを手渡そうとすると、「違う」と言う。いや、行き先にはスピシュと書いてあるし、バス停も時刻も行き先も掲示板を見て何度も確認したので間違いない。

しかし白髪で痩せ型しかめっ面の運転手は「違う」の一点張りであり、なんでなのか尋ねても英語はわからないと言われ追い出されてしまった。一瞬の出来事であった。

 

バスに乗り込んでいる乗客と運転手のおじさん全員が敵に見えた。私はひとり泣きそうになりながらバスを見送った。

もう一度掲示板を見る、次のバスは18時15分である。これで向かっても戻ってくることができない。つまり、結論からいえば私はスピシュスキー城に行くことはできなかった。

 

しばらくその場で立ち尽くしたが、もうバスは行ってしまったのである。切り替えるしかない。とりあえず電車で行く方法はないだろうか、と電車のターミナルへ向かう。と、そこでたまたまきのう宿で出会った日本人の男の子と再会した。彼もまたハンガリーへ向かう電車のチケットを購入するのにもめていたそうで、窓口で係員とバトルをして疲れ切っていた。

 

しばらく話しているうちに、こういうときはゆっくり過ごすのもありだとかいう話になって、いっしょにコシツェを観光した。

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みどり色の瓦屋根が華やかなJakabov Palac(ヤコブ宮殿)

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小路には地元民の集うpubがあり飲みたくなる

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広場へつながる道の先にはエリザベス大聖堂が見えてくる

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外観もさることながら一歩中に入るとその敬虔な雰囲気に更に圧倒される

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どの角度から見ても壮麗だが後ろから見るとちょっと可愛らしい

 

 

コシツェの美しい街並みを感じることができたのもあのバスの運転手のおかげだ、とむりやり心の中でまとめていた。中心地を歩いているといくつか観光客向けのレストランがある。私たちは寿司を食いたいという話をしながらも、お互いに節約の旅をしているので、スーパーで食材を買って宿で寿司を作って食べることにした。

 

何軒かスーパーを周り、安い米とサーモンと瓶詰めの鯖のようなものを買って宿に戻った。宿のキッチンに行くと、スペイン人のおじさんがご飯を食べていて、彼も誘って3人で寿司を作って食べた。

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 手作りの寿司は予想以上に美味かった。米の炊き方も覚えたし、寿司が作れることがわかったし、何より彼らと楽しい時間を過ごすことができた。それもこれもすべてあの運転手さんのおかげだ。この日の夕方には豪雨が来て雷がすごかったので、もしも城に行っていたら、雷に打たれて死んでいたのかもしれない、きっとその姿があの運転手には見えたんだ!そうだ!なんて考えても諦めきれないのでいつか必ずまたスピシュスキー城を目指したい。

 

翌朝、ブラチスラバに戻る前に、エリザベス大聖堂のミサに参加した。この日は三位一体の祭日ということもあり聖堂の中では、溢れるほどの人々が深々と祈りを捧げていた。私はこの光景を見て、ここに来るためにコシツェに来たのかもしれない、とさえ思った。

晴れ渡った静かな街にはどこからともなく教会の鐘と賛美歌が響き渡っている。こんな日常が当たり前であることに、自分がここにいれることにすべてに感謝したくなった。帰りのバスに乗ると何か少し清々しい気分になっていた。