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生きてると「◯◯ってことか!」の連続。

言葉の壁はやっぱりある

そもそも英語がぜんぜんわからないのに、スロバキア語を勉強しようとしているのは無謀なことだと思う。たしかに、英語ができたら生活で困ることはほとんどない。ヨーロッパの人々にとって英語ができることは特別なことではないし、みんな時と場に応じてスロバキア語と英語を使い分けてる。だから、たくさんのスロバキア人がいる中に私がいる時は、みんなが私に気を使って英語で話してくれる。しかしその英語がわからないので、本当に申し訳なさしかない。

 

郷に入りては郷に従え、とは思っていて、ここへ来てわざわざ英語を勉強するより、スロバキア語を学んでスロバキア人と話したい。日本語を少しでも話せる外国人に出会うと思わず笑顔になってしまうように、スロバキア語がマイナーな言語であると自覚しているスロバキア人にとってもスロバキア語を話す外国人は珍しがられるし喜んでもらえる。

 

つまり何が言いたいかというと私は今言葉の壁を実感していて、その壁を乗り越えるためにスロバキア語を勉強することに決めました。

 

自分の目的は語学の習得ではないので、気負わずに生活を楽しみながら言語を学んで行きたいと思っている。生活する上で自ずと英語は必要になってくるので、体当たりで覚えていくしてない。しかしスロバキア語はまったくの未知からのスタートなのでやっぱりある程度勉強っぽいことをしないと学ぶのは難しい。

 

ブラチスラヴァにあるコメニウス国立大学では、SASというサマースクールが毎年8月に開催される。このSASは私にとってすごく魅力的だ。世界各国からの参加者が訪れ、寝食を共にしながらスロバキア語と文化を3週間に渡り学ぶ。初めは、英語で他国の人たちと学ぶことに怖気づいて申し込みを渋っていた。しかし、1年という限られた時間の中で、今ここでしかできないことをするのが目的と思っているので、他の国ではぜったいに経験できない3週間の価値が勝った。6月中に締め切るSASの募集に、滑り込みで申し込んだ。

 

未知な文化を未知な言語で学ぶのはどんな感じなのだろうか。今はまだ無謀だとしか思えないけど追い込まれないと堕落してしまう人間はこうやって逃げ場のないところに身を置くことでしか成長できないので仕方がない。ちなみに、今週からバイトもする。

 

勉強とか計画とか準備が苦手ならなんでも実践から入るしかなくて、何もかもに必ず自分にあった方法があるとこは、大学受験のときに知った。あれから8年が経ち、もう一度、予測不可能な冒険と挑戦を始めようとしている。