先日は、知り合いのご家族のお子さんのピアノの発表会を見学した。芸術小学校の子どもたちの発表会で、だいたいの発表者は親子での連弾。数十年ぶり(言い過ぎか)に聴いたグランドピアノの生音は普段イヤホンから流れ出る質感に慣れきっていた身体に心地よい衝撃と懐かしさを想起させて響き渡る。しかし私が何にうっとりとしていたかというと、その子どもたちの堂々とした佇まいと、横に並ぶ親の誇らしげな顔だった。
演奏の前と最後に、並んでお辞儀をして見せる何組もの親子を見て、こんなに自信のある親と子どもの姿を私はあまり見たことがないなと思った。ここまで親が我が子を誇らしげにしていたら、子どもも存分に堂々とできるものなんだと思った。そいえば日本では、街中で人前でも、親が子どもを叱責していて、私はよくその光景を見てはお腹がいたくなったものだけど、こちらではそんな光景見たことない。
日本人はシャイだねってよく言われるけど同時にそれは叱られて育った日本人の自信のなさなのでは、なんて思ってしまった。しかしながら私はこちらの人たちの自信満々の笑顔も、日本人の照れ笑いも可愛らしくてだいすきだ。
ブラチスラヴァの好きなところはたくさんある。街で寝ている人を眺めていると、人生への無意味な焦りを忘れさせてくれる。
裸で寝ている人も多い。大阪でも寝ている人はいっぱいいるけど、なんだかもっと、安心して眠っていて幸せそうに見える。4時間後にもう一度見てもまだ寝ていた。それを見てなぜか安心した。
ブラチスラヴァにはほっとする光景が溢れている。街で働いている人を見ていてもとてもマイペースだ。レジに行列ができても慌てたりしない。スーパーのおばはんはお菓子食べながらレジ打ちしてるし、チケット売り場のおじさんは客を待たせて談笑していた。警察はだいたいアイスクリーム片手に歩いているし、マクドナルドで避暑する。
ブラチスラヴァでの暮らしは、私にもっとすきなことをして生きていいんだよと語りかける。自分の時間を大事にすることは、自分自身を大事にすることだ。いつでも意のままに生きていたい。そう思う。