サラさんのお家には8日間もお世話になった。毎日、観光に行ったり、日本食レストランに行ったり、買い物に行ったり、お母さんのポーランド料理を食べたり、団欒に混ざったり、ゆっくり過ごすことも出来た充実した日々だった。何より、ポーランドの家庭に入って生活を共にするという“日常”を味わうことが出来たのが私にとっては貴重で有難い経験だった。
そして、ヤヴォジュノの街はこれまで訪れたどんな街とも違った素朴さと平和な雰囲気の溢れる場所で、いつかまた来たい思えるところだ。
ヤヴォジュノで訪れた喫茶店
夕陽に照らされるヤヴォジュノの団地群(写真だと思ったら絵だった。)
この、パネラークと呼ばれる共産主義時代に建てられた団地群は、私の住んでいるペトルジャルカにも見られる光景だ。上から見たのは初めてだったけれどパネラークを見ると、ポーランドやスロバキアの無数の家族がそこで暮らしているんだなあと、異国の日常を感じて不思議な気持ちになる。単なる日常だけではなくて、共産主義が崩壊していった激動の中での人々の感情の変化まで想像させる。(カラフルに色が塗られたのはここ15年くらいなんだそう)
そんなヤヴォジュノ・カトヴィツェの街に別れを告げ、私はポーランドの南部にある街チェンストホヴァへと向かう。カトヴィツェの駅までサラさんは見送ってくれた。前日にコンビニで見つけたおにぎりまで私に持たせてくれた。
日本のコンビニの味にも飢えていたので嬉しい
しかしこのおにぎりには完全にやられた。開けた瞬間にまわりをコーティングしているゴマがすべて剥がれ落ち、私の体と私の座っていた座席は一気にゴマまみれになった。このおにぎりの正解の食べ方は一体なんなんだ。そこへチケットチェックのおっさんが来て、尋常じゃないほどゴマまみれの私を白い目で見ていたのは言うまでもない。
とにかく、8日間もの間いっしょに過ごしてくれたサラさんご一家に感謝をしつつ、チェンストホヴァへ到着。駅に着くと、チェンストホヴァ生まれ、チェンストホヴァ育ちのボグダン神父が出迎えてくれた。何を隠そう今回ポーランドの旅にいたったのは、この神父一家とその友達の持っているヨットでポーランドの海の街を廻るというなんとも魅力的な誘いを頂いたからである。
続く。
(ポーランド編は濃すぎてぜんぜん進んでいかない。このままだと⑩までいっちゃうな〜。こんな時間差のあるブログなんて意味あるのかな〜。でも帰国するまでは意地でも更新していこうっと。)