ハンガリーを去る日、バスが出るまでの2時間ほど、ドナウ川沿いを散歩した。
国会議事堂のほど近く、平和で優雅な散歩道からは、少し異質ともいえる光景が現れる。
『ドナウ川遊歩道の靴』という名のその場所には、鉄で型どったいくつもの靴がある。
60足程、無造作に並んだ靴には、ぽつりぽつりと花やロウソクが添えられている。
1944年、第二次世界大戦の最中、ナチスの迫害を受けた多くのユダヤ人が、ここで銃殺され、あるいは川に突き落とされ、命を奪われた。その際、当時貴重だった靴を脱がされてから、殺害されたそうだ。その靴のモニュメントが慰霊としてここに残されている。
男性の靴、女性の靴、小さな子どもの靴
そのひとつひとつから伝わるのは、今と何ら変わらない人々の暮らしと、突然奪われた日常だ。
家族で連れて来られた人もいただろう。
大切な人を目の前で失った人もいただろう。
私達は事実を知り、この悲しみを想像することしかできない。
同じような悲劇は、今日も世界の何処かで巻き起こっている。
運命が変えられないのだとしたら、せめて大切な人に伝えたいことをいつも、伝えていなければいけない。失ってはいけない心を、誰もが持つことができれば、運命さえも変えられる日が来るのではないか、そんなことを思うのだ。
ドナウ川遊歩道の靴は、どれだけ錆びても色褪せない、無言のメッセージだ。