スタンドエフエムもいいけど。
文字を残すのも大事かなという気がしています。
近頃、人間関係の意味について考えていました。
人との関わりというのはなんのためにあるかというと【学び】だと感じています。
家族、友人、同僚、恋人、パートナー
と関係性が近ければ近いほど【学び】の濃度は濃い。
一見、周波数帯も近く、心地が良く、楽しい関係に見えても
接触していけばいくほど、相手は自分の鏡であることがわかってきます。
楽しい時期が一通り終わると、鏡は自分の見たくないところをはっきりと映し出してきます。
いっしょにいることに嫌悪感や不快感を感じるので
喧嘩や揉め事が生じます。そこで、その嫌悪感や不快感を観察してみるとする。
相手のいちばん許せない部分に、自分の心の闇が刺激されています。
そこには、未消化だった思いが隠されています。
これは本当にひとりひとり違ったテーマがあるので、何とは言えませんが
例えば、「生活音がうるさくてムカつく」とパートナーに怒っている私は
「私は周りに気を使って萎縮して静かに過ごしているのに、彼が自由に振る舞っているのはなんで?」という納得のいかなさがあります。
「自由に振る舞いたい」という消化されていない思いが刺激されて自己との引き裂かれが起こっています。これを口にするだけでも自己統合(魂の望みが満たされる)が起こって、自らの居るステージが変わってきます。
幼い頃まで振り返って突き詰めれば「自由に振る舞う私を大人に認めてほしかった」というところにたどり着きます。
「もっと愛されたかった、大事にされたかった、いっしょに居てほしかった」などの思いも典型的な例としてありそうですね。
そう感じていた自分を認めて自己統合が進めば進むほど、「なんで?」という感覚から
「そういう人もいるんだ」という“腑に落ちる”感覚を得られます。
刺激される闇が少なくなるほど、心の揺れは穏やかになり、
メンタル的に安定してきます。
このメンタル的な安定を手に入れることが魂の成長段階として必要な人には、
パートナーシップや人間関係はとても良い学びの場となりそうです。
続く