シチェチンに住む見ず知らずのご家族の家に3日間滞在することになった。
というのも、ボグダン神父の友人が、今回悪天候のため早々に帰ることになった私を不憫に思ったのか「よかったら君だけでもシチェチンの観光に、うちに泊まりに来ないか?うちの娘も君に会いたがっていたんだよ」というのである。
そんな突拍子もない提案に、思考がまったくついていかないが、“その場で即決”がヨーロッパ人のスタイル。私が少しでも迷うものなら「答えはYesかNoだ!」といつもどんな場面でも急かされるのである。
日本を出てから、迷ったらGoでここまで来た。今回も私の答えは当然Yes。しかし本心は、この家族のところに行けば日本語など話せる人はいないとわかっていたのでかなり心細かった。
雨の中、シチェチンの街でひとり降ろされた私を、マリアさんという女の子が迎えに来てくれた。マリアさんのお家もまた立派なお家で、余っている部屋をひとつ私に貸してくれた。お母さんとお姉さんもとても親切で、4人で夕食を共にした。
言語問題については、やはり深刻であった。ご一家はポーランド人であるにも関わらず全員ネイティブ並みに英語がペラペラだった。ネイティブ並みにペラペラの英語は早すぎて全然わからない。しかしなぜか雰囲気で8割くらい成り立っていた。
ご家族と話していて驚いたことは、ポーランドでは仕事は16時には終わるのがあたりまえで、家に帰って家族と過ごす時間を何よりも大事にしているそうだ。「日本は何時くらいまで働くの?」と聞かれ、「23時くらいかな」と答えてしまったときには、全員から生オーマイガーを聞くことができた。
翌日、私はマリアさんとベルリンに観光に行くことにした。シチェチンはドイツの国境がすぐ近くなので、ベルリンまでもバスで2時間くらい。しかし日帰りなので美術館や博物館は中へは入らず外観のみを見学。
日頃は東ヨーロッパしか周遊していないので、ベルリンは私にとって大都会だった。建造物のどれもが巨大。世界中の人がここに集まっているのがわかった。
一日かけて街歩きをしたがこれほど疲れたことはない。ベルリンという大都会に疲弊したのもあるが、それ以上に一対一での英語のコミュニケーションが何より苦痛になっていた。相手が言っていることがわからない申し訳なさとこちらの思いを伝えられないもどかしさで、終始遠い目をした愛想笑いである。
翌日はマリアさんがシチェチンの街を案内してくれた。シチェチンはポーランドの最北端の港町。第二次世界大戦まではドイツ領であったこともあって結構栄えていて綺麗な街だ。
シチェチンはポーランドのどの街とも違った雰囲気があった。海があってのんびりとしていて魔女の宅急便を思い出してしまうような美しい街だ。
翌日、チェンストホヴァに帰る私に、マリアさん一家は「泊まりに来てくれてありがとう。あなたにプレゼントよ」と言って小包をくれた。開けてみるとロザリオと琥珀のピアスとコースターが入っていた。私が英語ができないばっかりに、ご家族とも思うように交流できず申し訳ない気持ちでいっぱいだったためこの出来事には涙が出そうになった。
私からもお手紙とブレスレットをお部屋に置かせてもらったけど、そんなものではまだまだ足りないくらい、本当に優しくしてもらった。お姉さんは駅まで車で送ってくれて、電車の中で食べるようにとパンやお菓子まで買ってくれた。
自分の無力さと人の優しさはいつもセットで感じる。それくらい私はいつも人に助けられて生きているんだなと実感する。いつかまた会えるときには今回の恩返しをしたい。マリアさんのご家族と過ごした3日間は色んな意味で思い出深いものとなった。